江戸時代の享保年間6年、西暦で1721年の年に、法霊社(現、法霊山龗神社)の第一回神輿渡御祭が執り行われました。これが現在八戸三社大祭となった神事の始まりとなります。
享保6(1721)年の第一回から明治13(1880)年までの約160年間は龗神社単独の大祭として行われてきましたが、藩政解体により藩の支援がなくなった事や明治維新以降の数々の政変などで衰退する一方だった大祭を斎行するべく、明治14(1881)年に今まで御旅所だった長者山新羅神社が参加する事になります。
それから5年後の明治19(1886)、当時の龗神社宮司である坂本榮教に対して神明宮の氏子崇敬者から正式に大祭に参加したい旨の申し出があり、この年八戸三社大祭が誕生しました。
三神社合同例祭の八戸三社大祭としては令和三年に135周年を迎えましたが、こと龗神社に至ってはその起源より三百年を迎え、大奉祝式年祭の斎行をはじめ記念事業・記念式典を執り行う事といたしました。
神道に於いて定められた年を式年といい、式年の年に執り行う祭祀を式年祭と称します。その中でも百年単位の式年の年を大奉祝式年といい、八戸三社大祭起源龗神社神輿渡御祭の三百周年を迎えるにあたり、龗神社では大奉祝式年祭を斎行する事と致しました。
この式年祭には龗神社関係団体等多くの御参列を賜りたく御案内する所存でございましたが、現在の新型コロナウイルス感染症の状況により、現況では祭儀日程を定めることが大変困難である為、日程等全てに於いて現在決定しているものはありません。詳細に関しましては決定次第御案内又は情報公開する予定でおります。
名 称 | 八戸三社大祭龗神社発祥三百年大奉祝式年祭 |
---|---|
趣 旨 | 発祥以来三百年の年月に渡り、八戸の総鎮守としてその発展安寧を御見護り戴いて来た法霊山龗神社御祭神へ崇敬奉祝の誠を捧げ、更なる御神威の発揚を願うべく、今此処に至って心身新たに大祭本義の嚴修を以て未来へ伝承する財産とする。 |
日 程 | 未定 |
会 場 | 法霊山龗神社社殿 |
備考等 | 新型コロナウイルス感染症の状況が改善を見ない場合、一部関係者のみ少人数にて斎行する可能性があります。 |
八戸三社大祭龗神社発祥三百年大奉祝式年を記念し、大奉祝記念式典を開催いたします。
この大奉祝式年記念式典には龗神社関係団体をはじめ、多くの関係の皆様に御参加賜りたく御案内する所存でございましたが、現在の新型コロナウイルス感染症の状況により、現況では日程を定めることが大変困難である為現在決定しているものはありません。詳細に関しましては決定次第御案内又は情報公開する予定でおります。
名 称 | 八戸三社大祭龗神社発祥三百年 大奉祝記念式典 |
---|---|
日 程 | 未定 |
会 場 | 八戸プラザホテル プラザアーバンホール |
備考等 | 新型コロナウイルス感染症の状況が改善を見ない場合、記念式典自体を中止とする、又は最小限の人数にて実施する事も検討しております。 |
大奉祝に伴い、龗神社では記念事業を行う事と致しました。
現在龗神社では、県道拡幅工事等に係る境内建物新築工事を始め、景観工事など複数の工事を実施しておりますが、三百年奉祝の折に触れ、本工事を含め神社建物景観等全ての工事一式を記念事業に含めて実施する事といたします。
また、同じく現在行われている事業として、江戸時代の人形屋台山車の装束修復復元事業があり、文化庁、青森県、八戸市の助成の元現在実行中でございますので、本事業をも記念事業に含めて一大事業とし、複数年に渡り実施する予定となっております。
名 称 | 八戸三社大祭龗神社発祥三百年 奉祝記念事業 |
---|---|
日 程 | 令和四年4月から令和七年3月迄 |
予定事業 |
|
備 考 等 | 工期は変更になる可能性があります。 |
当神社は、源義経が平泉で自害せずに北へ向かったという、所謂義経北行伝説ゆかりの場所です。
鳥居の建つ場所は義経正妻の京久我大臣姫が自害した場所と伝わっており、その手鏡が所蔵されています。
また、江戸期にこの地方に伝わる義経北行に関する口伝を書き留めた「類家稲荷大明神縁起」という古文書が本殿より発見されました。