龗神社発祥の大祭 八戸三社大祭

江戸時代は享保6(1721)年に始まった、比較的長い歴史を持つ法霊山龗神社が発祥の代表的な神事です。

その名の通り八戸市中心市街地の三神社による合同例祭となっており、長者山新羅神社、神明宮と合同で斎行されます。

初の龗神社神輿渡御祭(1721年)から160年間は龗神社単独の大祭として行われてきましたが、明治維新から続く数々の政変や国民生活の急激な変化などで疲弊していた大祭の再興を目指し、 大澤多門の発案で明治14(1881)年に長者山新羅神社が参加、明治19(1886)年に神明宮が参加し、同年八戸三社大祭が誕生しました。

令和3(2021)年、八戸三社大祭は135周年を寿ぐこととなり、同時に八戸三社大祭起源の龗神社神輿渡御祭が300周年を迎えます。

八戸三社大祭の祭儀日程

7月30日 0:00前後 御神体遷座祭
御本殿より神輿へと御神体を遷座する神事です。人目につかない夜間に行われます。
7月31日 18:00 八戸三社大祭龗神社前夜祭祭典
龗神社本殿にて、神社関係者はじめ芸能団体や山車組などの関係団体の参列にて執り行われます。この時各山車組は神社に提灯を預け、期間中拝殿前に掲示されます。
7月31日 18:00 八戸三社大祭前夜祭
八戸市中心街に龗神社附祭の11山車組を含む、全27台の山車が展示される神事です。各山車の一般公開の他にお囃子の披露などもあり、中心街一体には多くの屋台などが出展され、賑やかしの御神事らしい盛り上がりを見せています。
8月1日 13:00 八戸三社大祭郷内半巡発御祭祭典
関係者のみにて龗神社本殿で行われます。
8月1日 13:30 八戸三社大祭出発式
龗神社境内にて執り行われます。湯立神事も出発式にて執り行います。
8月1日 13:50頃 龗神社行列供奉芸能団体歌舞奉納
法霊神楽、笹の葉踊り、重地大神楽、湊虎舞、新井田虎舞、左比代虎舞など、龗神社行列に供奉する各団体が奉納の舞を行います。龗神社境内及び参道にて行われます。
8月1日 15:00 郷内半巡発御祭
俗称:御通りの行列になります。神明宮行列、神明宮附祭、龗神社行列、龗神社附祭、長者山新羅神社行列、長者山新羅神社附祭の順で渡御します。市内中心部にてご覧ください。
8月1日 18:00前後 郷内半巡発御祭帰還奉告祭
行列が神社に帰還した事を奉告する祭典です。一般の方々は昇殿参列できませんが、拝殿外からの参列は可能です。時刻は行列到着時間により前後します。
8月1日 18:00前後 龗神社行列供奉芸能団体歌舞奉納
法霊神楽、笹の葉踊り、重地大神楽、湊虎舞、新井田虎舞、左比代虎舞など、龗神社行列に供奉する各団体が奉納の舞を行います。龗神社境内及び参道にて行われます。時刻は行列到着時間により前後します。
8月2日 13:00 八戸三社大祭龗神社中日例祭
八戸三社大祭の全ての神事の中で、この例祭が最重儀となります。龗神社本殿にて執り行われ、一般の方々も御参列頂けます。
8月2日 18:00 八戸三社大祭中日合同運行
龗神社の11山車組を含む、27台全ての山車が市内中心部を合同で運行します。御通りを終え、翌日に御還りを控えた中で最高潮の活気を帯び、多くの人出があります。
8月3日 15:00 郷内半巡還御祭
俗称:御還りの行列になります。神明宮行列、神明宮附祭、長者山新羅神社行列、長者山新羅神社附祭、龗神社行列、龗神社附祭の順で還御します。市内中心部にてご覧ください。
8月3日 18:40前後 龗神社行列供奉芸能団体歌舞奉納
法霊神楽、笹の葉踊り、重地大神楽、湊虎舞、新井田虎舞、左比代虎舞など、龗神社行列に供奉する各団体が奉納の舞を行います。龗神社境内及び参道にて行われます。時刻は行列到着時間により前後します。
8月3日 18:50前後 御神体遷座祭
参道横神輿殿へ納められた神輿から御本殿の元の御座へと御神体に御還り頂く神事です。境内にて参列が可能です。時刻は行列到着時間により前後します。
8月3日 19:00前後 郷内半巡還御祭祭典
郷内半巡還御祭が終了した事を奉告する祭典です。一般の方々も昇殿参列できますが、参列できる人数に制限があります。時刻は行列到着時間により前後します。
8月4日 18:00 八戸三社大祭後夜祭
市内中心部に龗神社の11山車組を含む、全27台の山車が展示される最後の山車披露の機会となる御神事です。神社での祭儀は執り行われません。

龗神社十一山車組の御案内

山車組に参加を検討されている方は、各山車組のウェブサイトなどをご覧ください。
また、八戸市教育委員会社会教育課においてもご案内頂いております。

令和二(2020)年 龗神社神輿渡御祭(三社大祭起源)300年目の報道等に関するお願い

令和二年、龗神社としては三社大祭起源となる龗神社神輿渡御祭の300年目を迎えました。

新型コロナウイルス感染症による社会的状況を鑑み、神事を縮小して祭典のみ開催とはなりましたが、これに伴い祭典に関する多くの御質問を頂いております。

しかしながら、中には大祭起源は疫病退散であった等という、非常に悪質な作り話を公に述べるものが出始めたりと、その都度対応に追われ苦慮している状況にあります。

そこで、報道機関向けに特に質問があった部分に対する回答書を作成しましたので、こちらでも公開いたします。

本年度八戸三社大祭に関するお問い合わせは非常に多くいただいております状況の為、当神社として対応できる範囲を超え、大変困惑している状況にありますので、お問い合わせ等に関しましては、本回答書をご覧になった上、それでも不明な点がある場合に限定して頂きます様お願い申し上げます。

八戸三社大祭運行ルートに関する龗神社の見解

八戸三社大祭に於いて問題となっている事項の一つに、運行ルートの延伸を議論するものがあります。

運行ルートとは神の御渡りになる道程の事であり、龗神社としては無責任な議論は看過できるものではない為、本項は本件事項に関して、龗神社の立場を明確な声明として記するものです。

先ずもって、運行ルート問題が指すものは、俗称御帰りの行列解散位置を札の辻交差点ではなく、十三日町まで延伸するというものです。目的は三日町や十三日町の人出が多い地域を巡る事で更なる観光効果を目指すものと説明を受けています。

本件に関しまして、龗神社がルート延伸に同意する事はない旨明確にお伝えいたします。

八戸三社大祭は、そもそも龗神社単独の祭儀として160年間開催され、その後三神社の合同例祭となって八戸三社大祭が誕生した経緯がある為、その起源となる精神は龗神社御祭神への願いにあり、その藩政期当時の事は龗神社古文献はもちろんの事、藩の記録文書などにも明記されているものです。 その御神前で奏ずる御祈願は現代になっても変わらず、八戸の発展安寧、人々の平穏な生活、大祭斎行を許可した八戸藩主南部家の弥栄などになります。

通常の社会生活に於いても当たり前の事と思いますが、、願い事をしながら、いざやる事は自分の好きなように振る舞うというのは、社会道徳としても普通ではない事です。 八戸市とそこで暮らす人々を護り、発展への御神徳を戴きたいと願いながら、いざその神が辿る還御の道筋に於いては自分の都合を優先し、正しく還御の途につかないとなった場合、その自分勝手な振る舞いを御神前にてどの様に言い訳し正当化するのか、またその様な嘘や誤魔化しの様な事をしてもいいのかに悩み苦しみ、現在でも結論を出すことができずにその旨奏上せずとしています。

龗神社に限らず、長者山新羅神社さんも神明宮さんも、祈祷行為を主とする拝み屋ではありません。神職は我が国の伝統を守り、その麗しい歴史や国民性を後世に紡ぐ精神性を以て国体及び地域社会に奉仕するものです。 その精神性が具現化したものが祭りであり、お社であります。

八戸三社大祭の重要な事はその伝統を守る事でも形でもないと龗神社は考えます。その中に脈々と伝えられてきた精神性にあります。 新しい技術が開発されて山車の素材が変わる事や、参加する団体が変わったりその数が増減する事があるのは、世の状の移ろいと共にある事であっても、その精神性は変わる事があってはなりません。 それは先祖代々歩んできた国や地域が今も存在している事の意味を見失う事でもあり、また独立した民族としての足元が揺らぐことでもあるからです。

地域社会や経済観光面に協力しないわけではありません。 しかしながら、同じ神事のお祭りを行っている他の都道府県に於いては、その精神性を守りつつ観光と両立させている例がいくつもある中で、八戸三社大祭は短絡的で考えの浅い目先の都合に走るべきではないと考えるからこそ、この様なルート変更には反対の立場を取っています。

関係者のみならず多くの方に様々なお考えがあるのは方々から聞こえてきておりますので重々承知しておりますが、龗神社としては、神事を強みとして生かせるアイデアを以て、正しい精神性を紡ぎつつ観光経済にも寄与できる大祭へと成長していく事を切に願います。

限定御朱印

令和4年 北東北観光限定御朱印

令和四年7月1日から令和四年9月30日まで行われる、JR東日本と北東北三県による大型観光キャンペーンとのタイアップにより、龗神社では期間限定の御朱印を頒布する事となりました。

頒布期間は上記観光キャンペーン期間内と同一で、初穂料は1,500円になりますが、一部を山車組の維持継承の為に寄付金とさせて頂きます。

また、7月31日から8月中旬のお盆期間までの間、御朱印の山車絵を元に製作された山車の実物が、龗神社拝殿前に奉納展示されますので、お近くにお越しの際は是非お運びください。

義経北行伝説

当神社は、源義経が平泉で自害せずに北へ向かったという、所謂義経北行伝説ゆかりの場所です。

鳥居の建つ場所は義経正妻の京久我大臣姫が自害した場所と伝わっており、その手鏡が所蔵されています。

また、江戸期にこの地方に伝わる義経北行に関する口伝を書き留めた「類家稲荷大明神縁起」という古文書が本殿より発見されました。

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